私の恋はエンタメ

いつだって私の恋愛は周囲の人のエンターテイメントになってしまう。

 

元来、他人のことを好きになりにくいタイプではあるが、私にだって胸熱く、

恋焦がれた人の1人や2人はいる。

自分なりにはいっぱしの、所謂"恋"をもれなくしてきているつもりである。

(ここで、星野源 『恋』のイントロ。)

 

学生時代、周囲が宇宙で起きている星の誕生〜超新星爆発並みの速さで付き合い、別れを繰り返している中、私は「この人のためなら家族・私財投げうってでも一緒になりたい人じゃないと付き合いたくない〜。シドとナンシーみたいな♡」というアホなことを考えていた。

これは完全に当​​時ニコニコ動画で観て衝撃を受けた椎名林檎大先生の影響である。偉大!

親の扶養で生き、投げうつ私財もなんもない学生が何を言っているのだろうか。

 

そんな激重メンヘラ中二過激思想の私にもいいなと思う人ができた。

あんな大仰なことを言っていても、好きな人を学校内に見つけられてしまうところがやはり学生である。

学生時代、恋愛にまわる話、“恋バナ”は最も価値の高い情報であった。

「誰が誰と付き合っている」、「誰が誰のことを好き」、「昨日誰と誰が一緒に帰っていった」など、

これらの情報は4G回線よりも早く拡散される。

いいねもリツイートもなかった時代にどこのようにしてあそこまでのスピードで情報を伝搬できたのかは今はもう思い出せない。

 

御多分に漏れず、私の新しくできた好きな人のことも友人に話すと、1週間後には殆どのクラスメイトが知っていた。

学生の頃から私のメイントピックは「自虐」、「身を切った暴露」。

この頃からステゴロの喧嘩話法を身に着けていたのだ。ああ、傷つけるのは己ばかり。

今考えるとなんてかわいいそうで哀れなんだ。『帰ってきたドラえもん』の、のびた張りに泣きながら抱きしめたくなるが、その頃は自分のキャラクターに忠実だった。

義務教育のスクールメンバーになるためには、自分自身のキャラクターを確立することが非常に重要となってくる。

 

さて、クラス中の知ることとなった私の淡い恋心であるが、私のキャラクターも相まって、

ある日一つの恐ろしいイベントを生み出すことになる。

クラスでも活発でリーダー気質の女の子が言った。

「今日の学校帰りにその子の家に行って告白しようよ!あした家知ってるし!みんなで行こう!」

 

え・・・・・・ ??みんなで???何故????

何故この子たちはついてくるのだろうか?

そして何故勝手に告白のタイミングを彼女が決めるのだろうか?

 

しかし、学生の頃ノリの悪い奴というのはその場をシラケさせる重罪人であった。

バイブス悪い奴もうGood Nightなのである。

最初は抵抗していた私であるが、気が付けば彼女とその友達5人ほどでその子の家へと向かうこととなった。

出来の悪いリアクション芸のように「やだよー。いらないからね!」、「行っても告らないからね!」などと言いながらも、私の足は彼女たちが案内する家へと向かっていたのである。哀れな罪人。


さて、学生の色恋に対する嗅覚は犬の1,000倍と言われている。

好きな子の家へと向かう我々一行をどのようにしてか見つけたクラスメイト達は、俺も、私も、とお供をかってでたのだ。きびだんごもなければ天竺を目指しているわけでもないのに。
あれよあれよという間に十数人ほど集まり、いつのまにか地獄の大名行列が出来上がっていた。


十数人の学生が住宅街を練り歩きお宅訪問など迷惑甚だしいのだが、

「告白をするところが見られる!」というエンタメを手に入れた彼奴らはそんなことはお構いなしに盛り上がる。歌まで歌って。オレンジレンジなんか歌うんじゃねえよこの野郎。

目的のその子の家に近づいただろうその時、事件が起こった。

 

「おい!〇〇(私の好きな子)がお前とは付き合えないってよ!」

そんな声が閑静な住宅街に響いた。

なんと列の先頭あたりにいた男子が既にその子の家のインターフォンを鳴らし、私が告白に来たことを伝えてしまったのだ。

 

そして即振られたのだ。

 

何故お前が伝えているのだ。

何故、お前が、伝えているのだ。

 

結局意中のその子に告白することも、会うことも出来ないままに、ピンポンを鳴らしたことにより出てきた家の人へ謝罪をし、失恋百鬼夜行は引き上げることとなった。

そりゃそうだろう。相手の子の気持ちも今ならわかる。急に家まで押しかけられた上に、大勢の期待でパンパンになっているクラスメイト、そして親に告白されているところを見られるなんていやすぎる。思春期の男子に対して十分すぎる公開処刑

かくして私の淡い恋は、日常に退屈していたクラスメイトの余興となり、インターフォンから聞こえる声で振られるという幕引きとなった。玉砕フォン。 

 

これは学生達の一番のエンターテイメントが「人の恋愛」であったということから引き起された悲劇である。

でも大人も変わらず他人の恋愛模様は一種のエンターテーメントとして享受されている。

アイドルのあの子が若手俳優と熱愛か?熟年俳優の不倫が?シェアハウスに住む男女の惚れた腫れた。

私たちは大人になっても "恋バナ"の持つ強いエンタメ力に惑わされている。

同時に「人間2人いればそこへ恋愛が存在すること」というエンタメ力への期待の高さで誰かを傷つけていることもある。

 

さて涙の失恋大名となった学生時代から幾年が過ぎ、私も大人になった。

何故こんなことを思い出して記しているのかというと、最近も私と周囲が私の恋をエンタメ化してしまい、醜い残酷リアリティ恋愛ショーになってしまったことがあった。

なんと学ばぬ愚か者なのだろう。もう30歳も近いのに。

私よ、私の恋をエンタメ化しないで。

幸せの前では呪いの効き目が弱い

別れた男には不幸になれと呪いを送っている。

しかし本当に不幸になられてしまっては困る。

 

大学生の間付き合っていた人がいた。

その人は最長で二年半くらい付き合っていた。

高校の同級生で好きだと言われたから付き合った。

次第に私も好きになっていくのだが。

 

その人にはいっぱい影響を与えたし、私も与えられた。

私が史上一番好きな映画は『ジョゼと虎と魚と』と言えば彼もそれが一番だと言ってくれたり。

斉藤和義の良さを話したら私よりのファンになってしまったり。

その人の家ではじめの一歩を全巻読んだり。

肉まんを食べながらアパートまで帰った冬の日だったり。

お互いの価値観を全部受け入れて全部与えてった。

 

でも大学生なんてきっとそんなもんなんだろう。

何者でもない中、自分の価値を見つけていく過程でそうやって恋人に影響与えたり与えられたり。

 

しかし私たちは次第にお互いを最優先できなくなっていく。

住んでいるところも遠く物理的な距離も離れ、心の距離も離れ。

私たちは別れる事となった。

 

 別れたあとの事はよく分からない。

同じ友達がたくさんいたはずなのに遊ばなくなっていった。

最近みないねーどうしたんろうねーって。

 

そんな中、皆とその人が4年くらい会わなくなって。

唐突に共通の友達から言われた「あいつ次の4月に結婚するらしいよ」

 

私と別れた後に手首を切るメンヘラの女に刺されたり、

家族にいろいろあったりでなんかものすごく波乱万丈的な人生を送ってたらしい。

それを人伝に聞くオレ。

なにそれ私そいつ人生の超面白い時期に立ち会えなかったじゃん。

肉まんを分け合うなんて人生において超つまんない時間じゃん。

それよりメンヘラに刺されているあいつを見たかった。

そして愛しいなって爆笑したかった。

 

その人は来年の四月にそのつらい時期を支えてくれた同僚と結婚するらしい。

はあーそりゃそりゃよござんした。

なんだあ、私より全然幸せじゃん。

そんな紆余曲折乗り越えて結ばれた彼女なんて絶対に強いつながりで結ばれてるじゃん。運命の人じゃん。

そんな人と出会えるなんてやっぱサイコーだよあんた。

そんな面白い時期乗り越えてくれた女なんて刺されたあんたを笑って支えている女に決まっているよ。

 

やっぱり不幸になっちゃえ。

ちょうどいいがわからない

100か0で生きてきた。

 

いや、そんなかっこいいものじゃない。

ギリギリでいつも生きていたいわけじゃない。バンデエジ。赤西。

ああ本当に「ちょうどいい」がわからないのだ。

 

例えばお酒。

飲むなら記憶を無くすまでのむ。飲まないから飲まないでよい。

ちょうどよくほろ酔うことができないのだ。

というかそもそもある程度飲んでも酔わない。

あるとき一気にガクッと来るのだ。

世の中の女の子がやる『酔っちゃった~』などできたためしはない。

ちょうどよく酔い、周囲からは酔ったら朗らかなかわいい人気者になるチャンスなどない。

酔ってしまった私はもう殺すか殺されるかの瀬戸際。全員と仁義なき戦い広島死闘編なのですよ。

酒を飲むかお前が飲まれるか。

 

例えば恋愛。

好きになるなら、未来永劫末代まで好きになる自信がある。好きになれなければ、どれだけ好かれようとそいつを生んだ先祖を呪ってしまう。

ちょうどよく人を好きになることもできないのだ。

というかあまり人を好きになっていない。

100好きになる人でなければ一緒にいても不幸と思ってしまう節がある。

世の中の女の子がやる、『女の子は追われるほうが幸せ~』など到底できないのさ。

判断基準が俺の好意が100か0かなのだから。

 

でも私はそんなぶ器用な女たちが好きさ。(cv.かたせ梨乃@肉体の門

そっちのほうが人間ぽいじゃん。

私は人間の根底には恥とか呪いとか嫉妬とか妬みとか嫌悪とか恨みとか嫌な感情をもっているはずだと思ってる。

だからそれを感じさせない人には全く魅力を感じないというか、嘘じゃんと思ってしまう。

不器用でうまく隠せていない女たちを見るといとおしくて自己投影して愛着を持ってしまうのさ。

初めから愛されることを受諾している姫タイプの女とは真逆の反逆的な女たちよ、俺は大好きさ。

 

駆け引き、戦略、そんなものができないでこちとら四半世紀生きて来やした。

しかし、昭和70年代の東映映画ではないので不器用は何の得にもなりません。

私以下不器用な女たちよ、実際不器用な奴は社会的に死んでしまうのですよ。

 

大人の対応、社交辞令、いい塩梅。

そのような対応ができてこそ21世紀を生きる僕らなのです。

誰もが傷つかない社会を!ウーマンリブジェンダーフリーダイバーシティ

なんてカタカナ語が並ぶ僕らの生きる時代。

分かりやすかった寅さんの時代はもう終わり、分かりにくい細分化されたそれぞれの幸せがある現代。

 

誰もが生きやすい世界は必要。

さて、そこにおもしろはあるのか。

それを見つけていきたい。

 

拝啓、穴の底

私は文章を書くのが苦手です。

ブログを書き始めようとしているやつが何を言っているのかと思われましょうが、

今の時代こういうことは先に言っておかないと後から、期待はずれ!、金かえせ!、不謹慎!炎上!という事態に陥ってしまうだろうに先に言いました。

 

そもそも私は読むことが好きです。そのため、自分もついつい素敵な文章を書く作家たちと同じようにウイットに富み、ユーモアがあり、時には泣かせる文章が作れると錯覚しがちなのですが、それは大変な間違いでした。

そもそも文章を書くのが下手なの!

それを実感したの小学6年生の修学旅行の時。

 

その頃の私はやはり読書好きな女子児童でした。

1人1枚しかない代本板と図書室にある本の交換でしか本を借りることができないルールに辟易としていた私は、さらになんの根拠も無しに自分も文章を書くのが得意であると思いこんでいました。

 

そんな、6年生の修学旅行。

4コース程行き先があるなか、私は一番人気である、その頃出来たばかりの六本木ヒルズを希望していました。

当時色々なメディアで完成を報道されていた六本木ヒルズは予想通り大人気であり、希望者多数で、見学者は作文で決められる事になりました。

あまり良く覚えていないのですが、作文のテーマは六本木ヒルズで何を学びたいかというようなものだったと思います。

読書家であるため、自分も綿矢りさ(当時最年少芥川賞)ばりの大作家であると思い込んでいた私は、六本木ヒルズは日本経済の中心で発展していく様子を目の当たりにしたいというようなそんなしゃらくさい内容を書いたのだと思います。下手な文章で。

結果は見事落選。

私は人気最下位の警視庁の見学をする班となりました。

 

今思うと六本木ヒルズより断然普段見る事ができない警視庁のほうが絶対に面白いと思うのですが、その頃は思いもしない自分の中で自信のあった作文が認められなかつたという事実にはじめて絶望を味わいました。でもそうとうしゃらくさい文書を書いていたのだと思います。だって日本経済の話なんてクソつまんねーし、大体小学生そんな事思うはずねえよ!きっとどっかで読んだんだろ!

そして、私の小学生修学旅行の思い出は、国会議事堂と目が笑っていないピーポ君と書く事への挫折となりました。

 

そこから自分の書く文章に自信がもてなくなりました。

 

しかしながら、齢25になった今そんなことも言ってられなくなりました。文章を書くのが苦手であった女子児童はやがて、仕事の中で様々な文章を書く羽目になります。流石にお賃金をもらっている以上ナマな仕事は出来ねぇってんで、こうやって練習するにいったったんでえ。

と言うのもありますが、何で自分を表現したいという自己顕示欲もあります。

 

私は、元来SNSというものを穴の底に向って独り言を言っているようなものだと思っています。

星新一先生のお話に『おーい、でてこいよ』というものがありますが、まさにそれと同じ。穴のそこに話していると思ったら実は全世界に発信されていたというような心もちで諸SNSには取り組んで行きたいと思っております。

ブログやツイッター等よりは少し力を入れますが、やはり穴の底。誰もきいていないけど、誰かに向って話すようなつもりで発信して行きたいと思っています。

そんなわけで私のかわいい自己顕示欲にひとつお付き合い下さいませ。

てててててんててーん

てててててんててんてんてーん。

菊次郎とさきね。

 


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天才の天才に対する憧れと嫉妬がかいまみれまひた。

たけしでさえもピカソに憧れてると思うと 天才も人の子だと思えるのです。

あと、いろいろな技法で描いていて 計り知れないと思いました。

色彩の鮮やかさが印象に 残りました。 山田五郎の解説ではないですが芸人ビートたけしの心の内面を垣間見ることができました。

若いうちから浅草の劇場に出演していて、すぐ売れっ子になり旅立った 芸人人生。

絵を書いている時間だけが 心許せたかなんかなと思います。

油絵はやっぱ極才色が多くカラフルな印象もって、独特の薄く淡く生活的な色を感じられました。

 

まとめると何て言うか天才は天才で もっと上への天才に対して憧れを感じているしこんだけ才能があっても満たされないことが多いのだなと感じました。

 

孤独オブ孤独

天才って孤独

夢の実現のために諦めるもの

何かを得るためには同等の代価が必要

ーー『鋼の錬金術師

等価交換だ!!!

夢を叶えるためには何を犠牲にし、差し出せばいいのだろう。

 

立て続けに夢を追う者の作品を鑑賞した。

ラ・ラ・ランド』、『パラダイス・キス』、『かくかくしかじか』。

どれも夢を追う青き若者の物語でした。

青いよ!青色申告より青いよ!半分、青い。よ!

 

なんででしょう、最近このように夢を追っている青春(はずかし!)の話を欲しているオレです。

 

まずは、『ラ・ラ・ランド』 。

元来、ミュージカル大好きババアなわけですよ。嫌いなわけないじゃない!

最近賛否両論と書かれていて不穏な空気。

まあでも、もっと私よりハードコアでミュージカル好きであったり、ジャズが好きであったり、映画が好きであった利する人にとっては粗が目立ってしまう部分もあるのではないかなと。

しかしシャクですがこの坂元裕二の言葉を借りると、まさに、

意思のある三流は、四流だよ。

『カルテット』ー坂元裕二

な映画でしたね。実はは自分の好きじゃない事も好きなことで食っていくためには必ず必要だし、三流のこだわりなんぞプロフェッショナルの人たちからしたら邪魔なものでしたかないのですよ。

 映画自体の批評も少しをば。最初はさんざんミアをたきつけて負いて自分だけ安パイな道にいち早く進んでいってしまったセブに腹が立ったし、後半はあんだけ依存的な関係にさせといてあっさり別の男と成就するミアに腹が立ちました。でも、古典ミュージカルのオマージュも最高だし、現代風にブラッシュアップした、ミュージカル映画的な部分もこれぞ!って感じでサイコーなのですよ。賛否両論あれど。やっぱりミュージカル映画は、音楽≧ストーリーなわけですよ。私にとって。

 

結果的に結ばれないセブとミア。今週読んで思い起こされたのは、『パラダイス・キス』。ジョージと紫。

 

パラダイス・キスジョージはモデルの吉井和哉はきっとこんな男なのだろうと思ってしまうほどよく似ていて、夢を追わないものに冷たい。

この二人も夢の実現のために恋人を捨てる。

古今東西の物語を読んでみてもやっぱり夢と恋は等価であると感じている。

紫はさすが容姿はいいけどジョージまでは思わないけどけど主体性がない女だと感じる。でもそれは紫の家庭環境にも起因はあると思うのです。ジョージはまだ20そこらだからわかんないのさ!ばばあなめんなよ!

やっぱり、ぜったいお互い欲している2人でも夢の実現のためには離れる運命なのです。これは、物語だから?それともリアルにこれなの?

やっぱり、夢の実現のためには捨てなければいけない愛。

 

師弟関係とは一種の愛ですよね。その愛を捨てた『かくかくしかじか』。

自分をいつまでも嘘のない愛で信じた「先生」。

結局はこの愛も故郷宮崎に捨ててこなければ漫画家という夢の実現ができなかった東村アキコ。やはり夢と同じ価値のものは愛なのか・・・・。

 

立て続けに夢を叶える人の物語を観た。

しかしどれも自分の愛を等価で差し出している。

愛、夢、どちらを選ぶか、どちらをうまいと思うか。

それを定めることが、これからの人生のしあわせを視覚化できる心得なのではないか。

田舎とGLIM SPANKY

GLIM SPANYはどこか田舎くさい。

もちろんいい意味で。そして大好きなんですよ。

 

長野県出身の2人だそうで、そのにじみ出る郷愁が腑に落ちる。

去年長野県行ったけどマジ山しかなかったからね。

山!川!山!川!そば!山!って感じでした。

松尾レミは長野県の無人駅で歌っているのがとても似合う。

 

勝ち抜くまで終わらない今日を

片付くまで変わらぬ景色を

見えぬ未来へ投げ捨てる事は

許されないんだ

ー『焦燥』GLIM SPANKY

生まれた町からどうにかして抜け出したくて、でもまだ何物でもないから、もがいて、悩んで、焦り、『焦燥』。

地方都市の若者リアルを疾走感のあるロックで歌っているけど、松尾レミの声でブルース感出ちゃって郷愁があふれているのですよ。

 

今日のThe Coversで初めて喋っているお2人を観たのですが、普通の平成生まれぽかったので安心した(笑)完全に同年代っぽい話し方。親近感MAX東MAX

これで普段の雰囲気まで完璧にキマッてたら羨ましすぎてもう勝ち目ないもん。泣いちゃうよオレ。嫉妬で目から血出るよ。

そして今気が付いたけど東MAXって「あずままっくす」って打たないと出てこないから、あれ本当はアズマックスじゃなくてアズママックスって言うべきじゃね?Take2は本当に仲が悪いのかしらん。

 

 最近はタイアップとか多くなってきて御多分に漏れずあれ?ってなる曲も生まれてきていますが、まだまだ胸打ちぬかれる曲もたくさんあるので応援していきます。